若君様
大沢友貴、十九才。
現役で東大に合格した秀才である。二期生である。
父は地方公務員で、母は保母の仕事をしている。
妹がいる。
三才年下で高校生だ。
小さい頃から、秀才だの神童だの天才だのと言われていた。
勉強だけでなく、スポーツもいつもトップクラスだった。
文武両道、と人々は賞賛を惜しまなかった。
何をやらせても上手かった。
すぐ出来るのである。
野球にサッカー、乗馬に剣道、柔道。
すぐ上手くなり、次に興味が移るのである。
周りの人々は、もう少し頑張ればプロにも負けないのに、と、その素質を惜しんだ。
本人はそんな言葉には耳をかさず、マイペースに楽しんでいたのだった。
ろくろく勉強もしないで、東大に一発合格した時は、皆そろって彼の才能をうらやましく思った。
東京へ出てきて一年半。
生活にも慣れてきた。
少し前からアルバイトをしている。
東大生らしからぬ、スーパーの店員だ。
彼はそのアルバイトを楽しんでいた。
今日もバイトが入っている。
学校から直接行くことにした。
交差点の信号が青になり、渡り始めた時、横から大きな影が迫ってきた。
大型のトラックが自分にぶつかって来たのだ。
やばい、と思った。
友貴は目が覚めた。
周りがガヤガヤと慌ただしい。
天井が目に入って、
【 何だ。ここはどこだ。 】
天井はいくつもの四角に区切られ、絵が描かれている。
いつものベッドではない。
何やら、やたらフカフカしている。
そっと周りを見まわすと、人が数人いる。
そのなかの一人が、
『 お目覚めでござる、若君がお目覚めになられたぞ!! 』
バタバタと、人が出たり入ったりの気配がする。
状況がのみこめない。
目を閉じ、考えることにした。
【 どうなっているのだ。若君って誰だ。
もしかして俺のこと?
さっき目を開けた時、みんな、時代劇のような、なりをしていたな。
どういうことだ。
周りでは泣いて喜んでいるようだ。
今まで、どうなっていたのだろう。 】
しばらくして、医者らしい者が入ってきて、脈を取ってまぶたをめくった。
目をぱちくりと開けた。びっくりしている。
『 病が癒られた。回復なされた。
脈もしっかりとしている。
ついさっきまでの危篤状態が信じられない。 』
と言いながら、下がっていった。
【 分からない。さっぱり分からない。 】
状況がのみこめないのである。
友貴は状況が分かるまで、話さないことにした。
周りの話から、寝床の周りに座っているのは、どうやら自分の奥さんと、側室と子供らしい。
六人の大人の女性と五人ほどの子供。
皆まだ小さい。
3才くらいか、乳飲み子である。
【えぇーー。まだ十九才だろ。子供五人もいるのかよ。 】
うす目を開けてゆっくりと周りを見る。
皆、豪華な衣装を着ている。
後ろの方に世話をする者だろうか、十人ほど控えていた。
奥さんたちの顔が気になり、そーっと見てみた。
皆心配そうに自分を見ている。
何なんだ。
皆よく似た顔をしているのである。
真っ白くおしろいを塗り、目は細く下膨れの顔だ。
おたふくの顔にそっくりだ。
思わず吹き出しそうになるのをこらえて、目を閉じた。
若君の女の趣味の悪さにあきれていた。
食欲も出てきた。
『 何か食されますか? 』
との問にうなずいた。
次々に運ばれてきた料理は、どれも超まずいのである。
まず、味が薄く、とても食べられないが、それしかないので我慢して食べた。
医者は、病気の後遺症で話が出来ないのだろう。
そのうちに少しずつ良くなっていく、と言う。
とにかく、何も分からないのである。
妻や子供の顔も、名前も分からないのである。
さあー、これからが現役東大合格者の腕の見せどころである。
この難関を、どう乗り切るかだ。
重い病気にかかり、明日をも知れぬ状況から、奇跡的に回復したらしい。
そこで、記憶喪失者になることにした。
お前は誰じゃ、それは何じゃ、と聞くことにした。
話し始めた言葉が、そばに仕えている者に
『 お前は誰じゃ。 』
だったので、皆びっくりして、涙を流し、
『 おいたわしい、私は若の乳母で、初音です。ああー。 』
と、泣き崩れるのだった。
聞いているうちに、大体のことが分かってきた。
自分はどうやら公方様の後継らしい。
どの時代で、何代目なのかまだ分からない。
屋敷内や庭を調べることにした。
長い廊下があり、部屋がずらりと並んでいた。
人の気配がしている。
どうやら、生活の場所らしい。
人の気配のない部屋に入ってみた。物置のようだ。
何やら隣の部屋の話し声が聞こえてきた。
小声で、ひそひそと聞き取りにくかったが、近づいてふすま越しに聞いてみた。
三人ほどで話している。
『 若が生き返った。 』
『 まさか生き返るとは。 』
『 失敗だ。 』
『 何やら若は全部忘れておられるらしい。 』
『 それに少し呆けられたようだ。 』
『 あの毒が効かぬとは。 』
『 放っておきましょう。 』
『 何も余計な事をして、事を荒立てることもあるまい。 』
『 今の若の様子では、次期将軍は無理でしょう。 』
話はそれで終わり、外に出て行った。
友貴は話を聞き、
【 よくある話じゃあないか。 】
と思った。
【 時代劇で見る、跡目争いってやつか。
気を付けなきゃ。
俺、殺されるかも。
さあ、どうするか考えよう。 】
庭に出ることにした。
いつも必ずついてくる護衛の侍が二人いる。
幼い頃から一緒に育ったらしい。
市太郎と松之丞と言う。
この二人も信用していいものかどうか分からない。
二人に聞いてみた。
『 私はどんな人間なのか、教えてくれ。 』
二人は声をそろえて
『 立派な若君であらせられます。 』
『 剣の腕はどうじゃ。 』
『 我々の及ぶところではございません。 』
何を聞いてもほめ言葉しか返ってこない。
それでは、剣の稽古でもしてみよう。
二人に支度をさせて立ち合ってみた。
友貴は二段の腕前だったが、悟られないようにスキだらけの構えで立った。
二人はなかなかの腕前のようだ。
上手くあしらい、そして、勝たせてくれるのだった。
『 さすが若君、とても我々かないません。 』
何だか若が可哀想になってきた。
情報を得ているうちに、何となく分かってきた。
公方様には十人の男子がいるらしい。
この度の事件は、本妻の子、若君(長男)と、側室の子(次男)との争いらしい。
二派に分かれて、争っているらしい。
友貴は考えた。
【 別に将軍になる必要はないな。
飾り物で、そんなにいい役目でないことは、書物を読んで知っていたし、自分が暮らしていた時代に帰れなかったら、この時代で生きていかねばならない。
どうしよう。
自分はそれでいいけれど、自分を押してくれている連中を、どう納得させようか。 】
そこで、今のままどんどんバカになることにした。
周りの人々は諦めていった。
うわごとのように、寺に行きたい。
坊主が大好き。
私も坊主になりたい。
と、つぶやいてみた。
若君専用の寺が建てられ、友貴はそこに移された。
そこは、江戸から遠く離れた山深い里だった。
将軍家の若君がバカだなんて知られてはならない。
極秘事項だったのだ。
いつか元の時代に帰れる日を夢見ながら。
自分の好みの女をそばに置き、平和に一生を終えた。
現代で事故に遭った友貴は即死だった。
平成二十九年十二月四日
現役で東大に合格した秀才である。二期生である。
父は地方公務員で、母は保母の仕事をしている。
妹がいる。
三才年下で高校生だ。
小さい頃から、秀才だの神童だの天才だのと言われていた。
勉強だけでなく、スポーツもいつもトップクラスだった。
文武両道、と人々は賞賛を惜しまなかった。
何をやらせても上手かった。
すぐ出来るのである。
野球にサッカー、乗馬に剣道、柔道。
すぐ上手くなり、次に興味が移るのである。
周りの人々は、もう少し頑張ればプロにも負けないのに、と、その素質を惜しんだ。
本人はそんな言葉には耳をかさず、マイペースに楽しんでいたのだった。
ろくろく勉強もしないで、東大に一発合格した時は、皆そろって彼の才能をうらやましく思った。
東京へ出てきて一年半。
生活にも慣れてきた。
少し前からアルバイトをしている。
東大生らしからぬ、スーパーの店員だ。
彼はそのアルバイトを楽しんでいた。
今日もバイトが入っている。
学校から直接行くことにした。
交差点の信号が青になり、渡り始めた時、横から大きな影が迫ってきた。
大型のトラックが自分にぶつかって来たのだ。
やばい、と思った。
友貴は目が覚めた。
周りがガヤガヤと慌ただしい。
天井が目に入って、
【 何だ。ここはどこだ。 】
天井はいくつもの四角に区切られ、絵が描かれている。
いつものベッドではない。
何やら、やたらフカフカしている。
そっと周りを見まわすと、人が数人いる。
そのなかの一人が、
『 お目覚めでござる、若君がお目覚めになられたぞ!! 』
バタバタと、人が出たり入ったりの気配がする。
状況がのみこめない。
目を閉じ、考えることにした。
【 どうなっているのだ。若君って誰だ。
もしかして俺のこと?
さっき目を開けた時、みんな、時代劇のような、なりをしていたな。
どういうことだ。
周りでは泣いて喜んでいるようだ。
今まで、どうなっていたのだろう。 】
しばらくして、医者らしい者が入ってきて、脈を取ってまぶたをめくった。
目をぱちくりと開けた。びっくりしている。
『 病が癒られた。回復なされた。
脈もしっかりとしている。
ついさっきまでの危篤状態が信じられない。 』
と言いながら、下がっていった。
【 分からない。さっぱり分からない。 】
状況がのみこめないのである。
友貴は状況が分かるまで、話さないことにした。
周りの話から、寝床の周りに座っているのは、どうやら自分の奥さんと、側室と子供らしい。
六人の大人の女性と五人ほどの子供。
皆まだ小さい。
3才くらいか、乳飲み子である。
【えぇーー。まだ十九才だろ。子供五人もいるのかよ。 】
うす目を開けてゆっくりと周りを見る。
皆、豪華な衣装を着ている。
後ろの方に世話をする者だろうか、十人ほど控えていた。
奥さんたちの顔が気になり、そーっと見てみた。
皆心配そうに自分を見ている。
何なんだ。
皆よく似た顔をしているのである。
真っ白くおしろいを塗り、目は細く下膨れの顔だ。
おたふくの顔にそっくりだ。
思わず吹き出しそうになるのをこらえて、目を閉じた。
若君の女の趣味の悪さにあきれていた。
食欲も出てきた。
『 何か食されますか? 』
との問にうなずいた。
次々に運ばれてきた料理は、どれも超まずいのである。
まず、味が薄く、とても食べられないが、それしかないので我慢して食べた。
医者は、病気の後遺症で話が出来ないのだろう。
そのうちに少しずつ良くなっていく、と言う。
とにかく、何も分からないのである。
妻や子供の顔も、名前も分からないのである。
さあー、これからが現役東大合格者の腕の見せどころである。
この難関を、どう乗り切るかだ。
重い病気にかかり、明日をも知れぬ状況から、奇跡的に回復したらしい。
そこで、記憶喪失者になることにした。
お前は誰じゃ、それは何じゃ、と聞くことにした。
話し始めた言葉が、そばに仕えている者に
『 お前は誰じゃ。 』
だったので、皆びっくりして、涙を流し、
『 おいたわしい、私は若の乳母で、初音です。ああー。 』
と、泣き崩れるのだった。
聞いているうちに、大体のことが分かってきた。
自分はどうやら公方様の後継らしい。
どの時代で、何代目なのかまだ分からない。
屋敷内や庭を調べることにした。
長い廊下があり、部屋がずらりと並んでいた。
人の気配がしている。
どうやら、生活の場所らしい。
人の気配のない部屋に入ってみた。物置のようだ。
何やら隣の部屋の話し声が聞こえてきた。
小声で、ひそひそと聞き取りにくかったが、近づいてふすま越しに聞いてみた。
三人ほどで話している。
『 若が生き返った。 』
『 まさか生き返るとは。 』
『 失敗だ。 』
『 何やら若は全部忘れておられるらしい。 』
『 それに少し呆けられたようだ。 』
『 あの毒が効かぬとは。 』
『 放っておきましょう。 』
『 何も余計な事をして、事を荒立てることもあるまい。 』
『 今の若の様子では、次期将軍は無理でしょう。 』
話はそれで終わり、外に出て行った。
友貴は話を聞き、
【 よくある話じゃあないか。 】
と思った。
【 時代劇で見る、跡目争いってやつか。
気を付けなきゃ。
俺、殺されるかも。
さあ、どうするか考えよう。 】
庭に出ることにした。
いつも必ずついてくる護衛の侍が二人いる。
幼い頃から一緒に育ったらしい。
市太郎と松之丞と言う。
この二人も信用していいものかどうか分からない。
二人に聞いてみた。
『 私はどんな人間なのか、教えてくれ。 』
二人は声をそろえて
『 立派な若君であらせられます。 』
『 剣の腕はどうじゃ。 』
『 我々の及ぶところではございません。 』
何を聞いてもほめ言葉しか返ってこない。
それでは、剣の稽古でもしてみよう。
二人に支度をさせて立ち合ってみた。
友貴は二段の腕前だったが、悟られないようにスキだらけの構えで立った。
二人はなかなかの腕前のようだ。
上手くあしらい、そして、勝たせてくれるのだった。
『 さすが若君、とても我々かないません。 』
何だか若が可哀想になってきた。
情報を得ているうちに、何となく分かってきた。
公方様には十人の男子がいるらしい。
この度の事件は、本妻の子、若君(長男)と、側室の子(次男)との争いらしい。
二派に分かれて、争っているらしい。
友貴は考えた。
【 別に将軍になる必要はないな。
飾り物で、そんなにいい役目でないことは、書物を読んで知っていたし、自分が暮らしていた時代に帰れなかったら、この時代で生きていかねばならない。
どうしよう。
自分はそれでいいけれど、自分を押してくれている連中を、どう納得させようか。 】
そこで、今のままどんどんバカになることにした。
周りの人々は諦めていった。
うわごとのように、寺に行きたい。
坊主が大好き。
私も坊主になりたい。
と、つぶやいてみた。
若君専用の寺が建てられ、友貴はそこに移された。
そこは、江戸から遠く離れた山深い里だった。
将軍家の若君がバカだなんて知られてはならない。
極秘事項だったのだ。
いつか元の時代に帰れる日を夢見ながら。
自分の好みの女をそばに置き、平和に一生を終えた。
現代で事故に遭った友貴は即死だった。
平成二十九年十二月四日