一人旅

     朝日がさしてきた。少し前から目は覚めている。
    自分はあと何年、いや何日、こうして目を覚ます日が許されているのだろうか。
    もう八十三才になった。今のところ、健康だ。どこも悪いところはない。
    今までの自分の人生を振り返ってみる。
    とても平凡な人生のようで、色々あったけれど、過ぎてみるとどうってこともない。
    残りの人生どう生きようか、考える時もあるが、すぐ忘れてしまう。
    できるだけ、元気でいたいと、常日頃から思っている。
    毎日二時間くらい、天気のいい日は散歩している。
    テレビで見たように胸を張り、背筋を伸ばし、さっそうと歩くようにしている。
    多分、よそから見たら、少しもかっこよく見えていないだろうと思いながら。

    そして思う。

    『 年は取りたくないもんだ。 』

    桜の花の咲くころに

     ゆるやかな坂道を一人で歩いている。
    周りはこんもりと木々が茂っている。どこだか分からない。
    自分の記憶のなかの断片を、つなぎ合わせたような所だった。
    木が少なくなり、明るく見晴らしが良くなってきた。
    ゆるやかな坂道はまだ続いていた。
    気が付くと、道の両端に、柿の木が並木のように植えられている。
    どの木も赤い柿の実が、たわわになっている。とても美味しそうだ。

    くだものが大好きで、手を伸ばせば届く。実を採って食べたくなる。
    でも、その柿の木は、だれかが植えたもので、持ち主がいることを知っている。
    黙って採って食べたら、どろぼうになってしまう。

    地獄からの脱出

     みさとは、上場企業の社長の家の、長女として育った。二人の弟がいた。
    みさとは、お嬢様として何一つ、不自由ない暮らしだった。
    小さい頃から、習い事をたくさんさせられた。
    英語・フランス語・中国語、優秀な家庭教師がつけられた。
    他にも、ピアノ・ヴァイオリン、習い事で忙しかった。
    友達と、遊園地などに遊びに行ったことは一度もなかった。
    幼稚園からの一貫校だった。
    高校に入ってからは、それにお茶とお花が加わったのだった。
    クラスメイトたちも、同じような生活だったので、何の不満もなかった。
    有名な女子高だった。

    帰省

     良人(よしと)は久しぶりにのんびりしていた。
    家の者は、中学校の校庭で、花火大会があるというので、皆、見物にでかけたのだった。
    自分も行くつもりだったが、少し微熱があり、だるかったので、留守番をすることにした。
    疲れも取れたようだ。朝早く、渋滞を避ける為に東京を出発したのだが、実家についた時は昼を少し過ぎていた。

    良人は毎年、お盆と正月には、東北の田舎にある実家に、家族と共に帰ることにしていた。
    両親は、六十を少し過ぎたばかりで、まだまだ元気だった。
    孫を連れて帰ってくるのを、楽しみにしていた。
    ごちそうを用意し、孫たちにはおもちゃなど買って、待っていたのだった。
    妻と、七歳の女の子と、五歳の男の子がいる。
    普通の家庭であった。

    続 歩く男

    歩く男・全編

     男はずっと歩いていた。相変わらず独り。
    一歩一歩、ゆっくりと歩いていた。
    いつ頃からか、自分のそばを歩いている人がいる。
    そのうち、離れて行くのだろうと、気にもならなかった。
    その人は、深くフードをかぶり、下を向いて歩いている。
    何も語らず、黙って歩いていた。

    そして、大きな三つの岩の前に着いた。
    隣の人が岩の間に入り、地面に円を描いた。
    初めて口をきいた。

    続・米バア

     米は、大きな町の医者の家で生まれた。
    代々医者の家系で一人娘だった。
    父親は、いずれは米に婿を取り、跡をつがせるつもりだった。
    米にも、薬や医者のことを教えた。
    血なのか、米は仕事好きで、色々知りたいと勉強するのだった。
    そんな米の姿を、父親は嬉しそうに見守ってやっていた。

    米の家には、いずれ医者になりたいという若者が、地方からやってきて、助手や見習いが十数人いた。
    毎日が幸せだった。

    米バア

     米バアは、まだ五十前のはずだが、七十を過ぎたおばあさんに見えた。
    でも、この時代は老けるのが早かった。
    その時代にしたら、平均的かもしれない。


    江戸の初め頃、やっと世の中が静かになった頃だ。
    それまでは、いつもどこかで、戦があった。
    米バアは村のはずれの、粗末な小屋に一人で住んでいた。
    米バアは拝み屋をやっていた。
    怪しげな祭壇を作り、もっともらしく拝んでいた。
    それでも客はあった。
    色々な悩み事を聞いて、祈り、適当な返事をするのだった。

    米バアには副業があった。
    山に行き、薬草を採って来て、薬を作り売っていた。
    副業の方が、繁盛していた。
    風邪や腹痛、傷口の化膿など、よく効いたからだ。
    年寄り一人が生活するのには、困らなかった。
    近くの村はもちろん、遠くの村からもやって来るのだった。


    米バアが薬草を採っての帰り道、人気の少ない山道で、何か声が聞こえた。
    猫の鳴き声によく似ていた。
    野良猫が鳴いていると思い、通り過ぎようとしたが、気になり、道ばたの草をかき分けてみた。
    なんと、人間の赤子が、ぼろきれに包まれ、か細い声で泣いていた。

    日照りの村

    その村は美しい村だ。
    中央を幅十メートル程の川が、ゆったりと流れていた。
    その川の周りに広い田畑が続き、小高い山がせり出している。
    農家が点在し、のどかな田園風景が広がっていた。
    農作物は、米も野菜もよく採れた。
    村人は皆よく働き、善良で、助け合って暮らしていたのだった。

    ある時、一軒の農家が火事になった。大人たちが野良仕事に出かけ、子供だけで留守番をしていた。
    いつもは家の外で遊んでいるのだが、お腹が減ってきた子どもは、焼き芋を焼こうと囲炉裏に火を起こしたのだった。
    芋を灰の中に入れ焼いている時に、近くの薪に火の粉が飛んで火がついてしまった。
    大人がいれば何てことのない事なのだが、小さい子どもだけ。
    皆、びっくりして外に飛び出してしまったのだ。
    火はすぐに周りに燃え広がり、あっと言う間に燃え上がった。

    変化

    そこは、高級住宅地にある二階建ての家。
    広めの庭には、いつも季節の花が咲いている。
    芝生も、手入れが行き届いて美しい。

    遠藤家の一日は、鳥の鳴き声とともに始まる。
    主人の和明は六時に起き、小一時間のジョギングを日課にしている。
    四十二歳、商社に勤め働きざかり。
    仕事が楽しく、充実した日々を過ごしている。
    妻の咲江は四十歳。
    上品な顔立ちで、年よりも随分若く見える。
    高校二年の娘亜紀と、中学二年の息子要の四人暮らしである。
    仲の良い、笑い声の絶えない理想的な家庭で、周りからは羨ましがられていた。

    弟の要が亜紀にちょっかいを出し、口げんかをするぐらいで姉弟仲も悪くはなかった。
    いつも和明はジョギングに出かける時、二人の子供に声をかける。
    「どうだ、いっしょに走らないか?」
    二人に無視され、いつも一人で走っている。
    ジョギングから帰ると、妻が朝食の支度をして待っている。
    和明が食べ終わるころ、二人の子供は起きてきて慌ただしく食事をし、バタバタと学校へ行くのだった。

    娘の亜紀は、明るく積極的な性格で、友達も多く楽しい学生生活を送っていた。
    成績も良く、自信に満ちていた。
    両親の教育方針も、個人の希望を優先して、自由に伸び伸びと育てていたのだった。

    幸せって何だ

    美智子は、短大を卒業して二年。
    大手の会社に務めている。
    事務をしている。
    色の白い、目のぱっちりとした美人で、男性にはとても、もてていた。
    小学校からの一貫校で、小学校の入試以来受験の経験はない。
    とてもおっとりとして、いかにもお嬢様に見えた。

    父親は有名な会社の重役で、三人のこの末っ子である美智子をとても可愛がっていた。
    就職の時も、なかなか内定をもらえず落ち込んでいる娘を見るに見かねて、知り合いに頼んで今の会社に入れてもらったのだった。

    美智子は気を使ったりするのは苦手で、自分から仕事を見つけて働くなどとてもできないのである。
    言われた事しかできなかった。
    当然仲間からは「使えない女」と見られ、専ら雑用をさせられていた。
    本人は何も気にしている様子もなく、言われた雑用をこなしていたのだった。
    女性の仕事仲間は、「イラつく女」として誰も相手にはしなかった。
    しかし男性には人気があった。
    皆んなデートに誘ってくるのである。

    お付き合いをしてだいたい三ヶ月で別れるのである。
    でも、すぐに次の相手ができるので、淋しいと思ったことはなかった。
    次々に相手が変わるのも、同僚の女性たちの気に障っていた。
    そんな周りの女性たちの感情に気がつく女ではなかった。
    いつも通り、にこやかにおっとりと雑用をこなしているのだった。
    「気の利かないバカ女」と陰口をたたかれていたが、本人は何も気づかず、いつもマイペースだった。